おもちゃと5歳児と2歳児とイクメンとの生活

かわいい息子たちで実験育児

子どもとテレビの付き合い方に悩んだら

かれこれ3年前でしょうか。我が家はテレビレス育児を遂行しており、マロへのテレビ視聴はごく限られたものにしていました。そのころの記事がこちら

英語コンテンツやピタゴラスイッチに限って短時間見せていたわけですが、マロの成長につれてその管理もうまくいかなくなりました。

息子も知恵がついてきて、昨日はもっと見せてくれただの、あともう一個だけ見せてだの、とにかくテレビ視聴を巡る息子とのネゴシエーションに時間を使うのがアホらしくなり、ヨドバシカメラまで大型テレビを捨てに行きました。独身時代から使っていた古いものだったので、ちょうどいいや、と思って。

 

話はここで終わりません。

経緯は覚えていないのですが、その後もう一度ヨドバシカメラへ足を運び、なぜかプロジェクターを買いました。

「プロジェクター内臓のスピーカーの音質は良くない」との説明を受けたので、その足でスピーカーエリアに立ち寄ったところ、店員さんにB'zを聞くならBOSE、聞かないならYAMAHA」と教えてもらいました。あいにくB'zには縁がないのでYAMAHAのスピーカーを買いました。DVDも見たいよねという話になり、エリアを移動して「放送時間がずれても嵐の番組がきちんと録れていたとジャニオタに評判の」TVチューナー内臓のDVDプレイヤーも買いました。ヨドバシカメラは恐ろしい場所です。店員さんが有能すぎる。

合計30万円ほど費やし、テレビを捨てた我が家に新たにホームシアター爆誕したのでした
日中でこんな感じの見え方です。美味しそうないなりずしの映像です。

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衝動買いではありましたが、これが大正解だと思っていて、子どものテレビ視聴に悩んでいる方にはプロジェクターをおすすめしたい。

 

プロジェクターにしたことで、明らかに我が家の映像コンテンツの視聴に変化がありました。
テレビと異なり、カーテンを閉めて部屋をある程度暗くする必要があります。つまりは一手間かかります。
さらに、暗くした部屋の中で大画面が照らし出されるので、イヤでも家族全員で画面をみることになります。この2点が非常に良いです。

何となくリモコンをポチッと押すだけでは見られないので、「さあ見るよ」とワクワクしながらカーテンを閉め、家族全員であーだこーだ言いながら同じものを見ています。

親の時間を得るために子どもにテレビを見せておくのではなく、家族で共有する能動的な娯楽になったのです。

ながら見がテレビよりも困難なため、誰も観ていないのにだらだらとついていることもありません。家族みんなが観たいものを観ておしまい。テレビの時よりもメリハリがあり、視聴時間自体も短くなりました。

さらに、子どもが画面に近づきすぎる問題も解決しました。好きなだけ近づかせています。一方で、次男が手を伸ばして影絵で邪魔する問題は発生しています。

 

我が家の生活を大きく変えたプロジェクター。テレビレス育児こそ貫徹できませんでしたが、視聴時間は最低限にしつつも、質の高いコンテンツをマロに与えられているので、私は大満足しています。

中学受験に向けての仕込み(未就学児編)

都心での熾烈な中学受験について、主に諸先輩方の話を聞きながら、少しずつto doを整理しています。

 

最後まで(多分)変更しない大枠は以下の3つ。

①息子が中学受験をしてでも行きたいと思える中学校を見つける。

②中学受験は基本結果。勝てそうになく、かつ息子の自己肯定感が揺るぎそうであればすっぱりやめる。

③中学受験は基本失敗すると覚悟し、その時に備えて勉強以外のよすがを育てておく。

 

その上で、実際に受験する科目ごとに必要な仕込みを分析、今からできるアプローチに細分化しています。こちらは走りながら調整していくつもりです。

 

国語:読書量との相関が高い科目。幼児期から読書習慣をつける。
→現状出来ているので国語力については当面放置。

算数(図形):生来のセンスの寄与度が大きい科目。不得意なら早めに手を打つ必要あり。
→マロは立体が得意。(レゴに大枚をはたいた甲斐あり)一方平面は並。立体的な空間把握能力が平面に応用されるのを待つか、いまからテコ入れするかは悩み中。小1になっても平均以下であれば、フォトンや朝倉等の算数教室を検討。

算数(数字):探究心や競争心と相性のいい科目。親の煽り方次第。
→マロは数のセンスはそこそこ。競争心は薄い方なので、できる子が出現するとデモチすると予想。今からプレ百ます計算に取り組ませ、タイムを測って過去の自分と競わせてみている。

理科:個々人の興味の対象と、経験の多様さに比例。
→ナマの体験と紙の知識のリンケージの繰り返しが鍵。図鑑類は幼児期から一通り見えるところにセット。
実体験に割く週末の時間が、徐々に減っていくので、4年生まではアクティブに活動(コロナ憎し・・・)。実験教室にアウトソースも検討。

社会:注いだ時間が点で報われる、最もフェアな科目。
→上記のアプローチが功を奏せば、国語と算数は対策なくそこそことれるはず。浮いた時間を社会に注ぐことで、知的好奇心を満たして、中受後も自走できるようにする。

 

自分の四半世紀前を振り返ると、中受では国語と社会で何とか持っている成績でした。
今思えばこれは女子だから成功した気がします。難関男子校ではまず通用しないと思いですね。

算数を得意にしておいて、国語が安定していれば、この2科目は基本手当不要です。あとは理社だけですから、私のようなハードワーキングマザーでも充分サポートできると踏んでいます。
こんなことを書いておきながら、数年後「何て甘ちゃんだったんだろう」と思う気がしますが、今くらい自由に絵を描いて夢を見ておきたい笑

 

目先の悩みは、今年秋のサピックスの入試を受けるかどうかです。小1からサピックスの席取り合戦に参加するなんてダサい!嫌だ!と思っていたのですが、こんなの↓を見るとそうも言っていられず。入れない以上に全然入れないじゃん・・・

SAPIX小学部 | 募集停止の校舎一覧

サピックス以外にも塾はあるわけですが、「後からは入れないところに先に入っておくのは別におかしくなくない?」というイクメンの一言で、小1からサピックスシナリオが私のなかでは濃厚になってきています。

あと3-4ヶ月で決意を固めないと・・・。

Youtubeは諸悪の根源か

YouTubeは諸悪の根源』

と、小1の子を持つ友達が言い放った。

YouTubeネイティヴの成人はまだいないわけだし、わからないよ、と私は口先のフォローをした。

『もう一度子育てをやり直せるなら、私絶対YouTubeを与えない』
友達は私の口先のフォローをしっかりと受け流した。

 

子どもとYouTubeの関係は、肥満とチョコレートのそれに似ている。一度知れば虜になり、やめたくても容易にはやめられない。

与える選択はいつだってできるから、と、息子の娯楽のラインナップにYouTubeを並べないようにしてきた。

YouTubeに頼らない苦労はさておくとして、結果としては良かったことも良くなかったこともあると感じている。

 

息子は5歳にしてはタブレットの経験値が浅いので、通っているプログラミング教室で苦労しているようだ。また、流行りに疎くマイペースに見えることもある。

良かったことは数えきれないほどある。彼にとって最上の娯楽はYouTubeではなくて書籍になったので、(次男を除けば)我が家は静かだ。動画を無理矢理中断させて癇癪を起こされることもなく、YouTubeで息子の頭がおかしくなるのではないかという心配とも無縁だ。

YouTubeがない生活は、シンプルに親としての私の心に平安をもたらしている。それが子どものためになっているのかどうかは、知らない。

 

YouTubeに限らず、子どもの娯楽はハードウェアとしてできるだけ細分化しておいた方が良い。1つのハードウェアに1つのソフトウェアにしておけば、親の都合で物理的に区切るのが容易だ。

YouTubeボタンのついたテレビリモコンや、ゲームもアマプラもお絵かきもできるタブレットを渡してしまうと、次々にソフトウェア同士にホッピングして、子どもの未熟な精神力では区切れなくなってしまうからだ。

何か子どもにコンテンツを与えようと思った時には、最もアナログであえて汎用性のないハードウェアで与えるように心がけている。往々にしてそれは書籍になる。より高度で娯楽性の高い、チョコレート的な方法は、不可逆なので後にとっておく。

 

私の子どもがもしYouTubeにどっぷりで、辞めさせたいと思っているとしたら、まずはYouTubeのためだけのタブレットを用意し、予め親が選定したコンテンツのリストから閲覧させるようにする。
YouTubeで何か見たい」ではなく「タブレットでこのアニメを見たい」と思わせるようにする。
そこから少しずつタブレットから物理的に距離を置くように意識する。

うまくいくかは分からないので、誰か実験してみてほしい。

 

YouTubeが諸悪の根源かどうかは不明だ。もっとYouTubeを見せておけば、と思う日が来るかも知れない。

私がここで書きたいのはYouTubeの悪口ではない。
子どもの「初めて」は未就学児のうちは親次第であり、どんなソフトウェアに晒すかだけではなく、どのハードウェアで提供するかも考えてもいいのではないか、という話である。
子どもにため息をつきながらYoutubeを渡す前に、立ち止まって「本当に他の方法がないか」を考えてみてもいいのかもしれない。

 

絵本から本へはどう移行するのか(長男5歳)

以前も書きましたが、とにかく本を読む子どもになってほしい、というのが私の育児の軸であることもあり、我が家には子ども用の本が大量にあります。

一部ですが本棚はこんな感じ。

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その時のマロの興味関心を見て、それをストレッチしてくれそうな選書を心がけています。従ってジャンルは雑多。

気がついた時には、長男専属の読み聞かせマシンと化していた私。涙ながらに「今日は疲れてるからマジで勘弁してくれ」と長男に頼み込んだことも1度や2度ではありません。
もう記録するのをやめてしまいましたが、4歳までは平均7冊読み聞かせていました。


その甲斐あってか、思惑通り絵本大好きに仕上がった長男。
喜ばしいことなのですが、何故だかまだ読み聞かせが続いています。ひらがなもカタカナも読めるのに「これ読んでー」が終わらない。

読み聞かせの重要性は私もよくよく理解しているつもりです。でも(そろそろ10のうちの2くらい自分で読んでくれない?)と思うわけです。私も忙しいし、次男にも読み聞かせなきゃいけないし。

 

ネクストステップとして『エルマーのぼうけん』『わかったさんシリーズ』『かいぞくポケット』のような簡易な児童書を買ってみたのですが、最悪なことに最初から最後まで読み聞かせをさせられる羽目になりました。
満面の笑顔で「これ読んでー」とエルマーを持ってくる息子の顔が悪魔に見えた。

 

何となく、絵本の読み聞かせから児童書の自分読みまでは、少し距離があるような気がしました。そこで思いついたのが漫画です。
漫画であれば絵と字のどちらを追っても内容は理解できるし、自分読みへの移行に使えるのではないか、という仮説を目下検証しています。

最初は、SFへの導入としてドラえもんを揃えようとしたのですが、のび太君のあまりの体たらくに(私が)耐えられずに断念。何なんですかね、彼。二次元の人物であっても関わりたくないタイプです。
とりあえず様子見で、学習漫画を少しずつ本棚に置いてみています。今日はサバイバルシリーズを熱心に眺めていました。文字を追えているのかどうかは不明。

publications.asahi.com

 

子どもを本読みにする旅はまだ続く・・・。

むかし話が足りない、と思ったら(アニメ絵本のすすめ)

かちかち山、かさじぞう、うらしまたろう、シンデレラ、ジャックと豆の木・・・

 

どれも名作と呼ばれる作品で、誰でも知っています。でも、みんなどこで知るのでしょう。今でもストーリーを記憶しているくらい馴染み深いのに、私自身はどこで触れたのか思い出せません。

こういったむかし話は昭和の娯楽だったのかもしれません。

スマホタブレットYoutubeもなくて、テレビをつければ『日本むかし話』がやっていて、定番の絵本が散らばっているような、そんな昭和の育児における、貴重な子供向けのコンテンツだったような気がしています。

翻って令和、子どもの気を引くものがそこら中に転がっています。
いつだったか、私はマロが『一寸法師』を知らないことに気が付いてショックでした。確かに、我が家には大量の絵本があるのに、『一寸法師』はありませんでした。『かぐや姫』も『うさぎとかめ』もない。お金を出して買うストーリーとしての価値を私は感じていませんでした。

別に知らなくても何の問題もありません。むかし話などヴィンテージもののフィクションに過ぎません。もっと面白い絵本があるならそれを楽しめばいい。

ところが、しちだのプリントをやっていると左のような問題が出てきたりするのです。むかし話を知らないとどうにもこうにも解けない問題が。
小学校受験で求められる知識なんですかね。

 

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多少はむかし話を導入してみようと買ったのが懐かしのアニメ絵本です。
1冊400円程度で購入できる、こういう表紙の薄い絵本。

 

 

なかでも『よい子とママのアニメ絵本』というシリーズが良かったです。

他のアニメ絵本シリーズもいくつか買ってみましたが、画が綺麗ではなかったり、教育的配慮からか内容を端折りすぎていたりで微妙でした。

 

 

このアニメ絵本がマロのツボにはまったようで、我が家に数ある絵本の中でも総合的に最も登場回数が多いシリーズになりました。結局9割ほど買いそろえました。
ちなみに、全集的な1冊にまとまったものは手軽ですがおすすめしません。1冊に始まりから終わりまでが詰まっているという、図書としての物理的価値が薄れてしまうので。

 

大人になってむかし話を読んでみると、引っかかる箇所も多いです。
得をするのは、いつだって清貧の美女や子宝に恵まれない老人。ルッキズムだったり男尊女卑だったり、とにかく前提となっている価値観が害悪だし古すぎる。令和に引き継いではいけない概念だらけです。

でもこれもまた教養なんですよね。多分。
画一的な美人が得をしていたり、お金持ちが当然のように意地悪だったり、子どもができないという不幸がありふれていたり。
これからを生きる息子たちには、どれも馴染みが薄くなっていくものだろうと思いますし、そうあってほしいと願います。ただ消えてしまうことはない。
時代が変わっても残り続ける人の汚点がバックボーンにあるからこそ、むかし話はいつの時代も子どもを惹きつけるのだと思います。

7年後の中学受験に向けて舵を切る

今年に入って、勤務状況が大変なことになっています。
こんなに働いているのは新卒ぶりかもしれない。

もともと海外を相手にする仕事なので、深夜や早朝にちょろちょろっとメールをするくらいのことはしていたのですが、それでは済まなくなり、なんだかんだ一日中仕事をしちゃっています。

母親としての自己採点は今20点くらい。
絵本の読み聞かせと七田のプリントだけ、ギリギリ毎日長男に付き合えているのでそれで10点ずつ。
家はぐっちゃぐちゃ、平日まともな料理を作れておらず、土曜日の朝は疲れ果てて寝ています。保育園での道すがら、あれこれ話しかけてくるマロの話をウンウンと聞きながら、(母親業をしていない私にもこんなに甘えてくれるんだなあ)と癒やされています。

 

こんなに忙しいのに、5歳のマロの中学受験のために引っ越しを考えています。
この決断に至るまでに紆余曲折あったのですが、一度決めるとそれはそれで極端な性格の私。思い切って、中学受験率9割とも言われる校区に引っ越そうと思っています。

生活圏も導線も保育園も何もかも変わってしまうのですが、あんまり迷いはありません。なぜならイクメンに迷いがないから。

中学受験ともなると、ほぼ私がエネルギーと時間とお金を割くことになるのは明らかで、イクメンは多分ポンポンを持って背後でチアしてくれるに過ぎない。
でもそんなことはどうでもいいんです。彼に迷いがなく、夫婦でおおむね同じ方向を向いていることが圧倒的に大事。

そもそもイクメンは地方出身で中学受験とは無縁の人生ですが、それでも都心での中学受験に理解があるのは結構珍しいような気がします。ありがたいことです。

 

誰かが「中学受験は父親の財力と母親の狂気」と言っていました。良い言葉です。
我が家の場合「中学受験は母親の財力と父親の応援」といったところになるでしょうか。自分がまだ狂気の域にいるのかどうかはわかりません。
夜のおしめもとれていない子どもの中学受験のために生活拠点を根こそぎ変えるのは、もしかしたら既に狂気なのかも。

 

この引っ越しで、息子たちの人生を変えてしまうんだろうなという実感があります。
7年後この文を読み返して、アホなことしたなーと思うのかもしれません。決めてよかったと思うのかもしれません。
どっちだろう。
全く読めないけれど、(やればよかった)という後悔だけは嫌なんですよね。

まだ紹介したいおもちゃが山積みではありますが、中学受験についても記録していこうと思っています。

【おもちゃレビュー】ロジカルシンキングの基礎ができるゲーム「シークレットコード」

幼少期の記憶で大人になっても残っていることって限られますよね。
比較的残りやすい記憶は、怖かったことや驚いたことではないでしょうか。楽しかったことや笑ったことは案外思い出せないものです。
ちなみに、ものすごく考えた記憶は残っていますか?

私は、未就学児や小学校低学年のころに、それこそ寝食も忘れて考え続けた記憶がいくつか残っています。そのうちの一つが、よく家族でやっていた「マスターマインド」というゲームです。

ルールはシンプルで、まず出題者が回答者に見えないように、カラフルなピンを刺します。回答者はピンの色と順番を予想して回答します。出題者はその回答に対し、色が合っているか、色も場所も合っているか、どちらも合っていないかを答えます。
これを繰り返すことで、回答者がピンの並びの正解にたどり着くというゲームです。

このゲームに家族全員ではまり込んでいた頃、私はどうしても正解したくて、母親の「ご飯よ」「いい加減にしなさい」「いつまでやってるの」「お風呂はどうするの」を全て無視して考え続けたものでした。
正解したときの喜びはひとしおで、私の正解することへの執着の原点になったゲームとも言えます。
人間考えすぎると頭が温かくなることもマスターマインドで知りましたし、正解した瞬間は脳内がシュッとしてメチャクチャ気持ちが良いことも、マスターマインドに教えてもらいました。

そのマスターマインド、今は売っていないと思っていたのですが、最近ボーネルンドで同じゲームが「シークレットコード」として売られているのを見つけました。
すぐに買いに行きました。3,080円也。やっすい。

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ピン4つだと5歳のマロには難しいので、ピン2つから始めました。慣れたらピン3つで楽しめます。工夫次第でレベル調整できるのもアナログゲームの素晴らしいところ

子どもに出題者をやらせても、親がああでもないこうでもないと考える様子を案外楽しんで見ていてくれます。
その際のポイントは、自分が考えていることを声に出すことです。

「さっきは色も場所も合っているのがひとつあるから、それが紫だと仮定して・・・」
「色は2つは合ってるはずだから、それを紫と青だとすると、矛盾がない組み合わせは・・・」

こんな感じです。思考プロセスを公開することで、子どもにもロジカルシンキングの種を植えることができると思います。
仮定を立てる、検証する、矛盾がないかどうかを確認する、という、ロジカルかつ理系的な思考力を養う素晴らしいゲームだと思います。

マロやサラ太にも、思考に没頭した末に正解に辿り着く快感を知ってほしい、と常々思っています。
そこにあるスマホですぐ集合知にはありつけるわけですが、脳がぽかぽかしたあとシュッとする経験は、正解そのものよりも価値があると思っています。

 

それにしても、子どもも5歳にもなると、そう新しいおもちゃが必要ということもなくなってきました。(鬼滅の刃の刀とか仮面ライダーのベルトとか、世にはあるのでしょうが、我が家は電動のプラスチックおもちゃを買わないので。)
究極的にはレゴかアナログゲームだけで良くないか?と最近は思っていて、その2つをさらに充実させて行く2021年にしたいです。

ec.bornelund.co.jp

 

5歳のクリスマスプレゼントはネタ切れにつき自転車にしました

一年の山場、クリスマスが終わりましたね。

我が家はタイミング気にせずおもちゃを買ってきているので、そろそろネタ切れです。ここ最近のプレゼントはレゴで繋いで来ましたが、それも目ぼしいものは買い尽くし、「クリスマスはどうしようかなあ・・・」と悩んでいたところに、マロが自転車が欲しいと言い出したので、即採用しました。

子ども用の自転車は、調べてみると実にピンキリ。
私自身はあまり乗り物全般にこだわりがないというか、よくわからないというか、もっというとそんなに関心がありません。
一方でイクメンは車輪にはうるさいので、とにかく彼に文句を言わせないために、それっぽいメーカー品で探した結果、TREKにしました。

マロに買ったのはこちらの補助輪付き16インチ。税抜き28,000円です。ピッカピカのオレンジがかっこよくて目立ちます。
マロはバランスバイクは乗れますが、ビビりなので念のため補助輪付きにしました。

TREKにした決め手が、キッズバイク買い替えプログラムです。


プログラムについて

トレック直営店でご購入いただいたキッズバイクなら、購入後3年以内に限り、購入価格の最大50%で下取りし、その下取り金額を次のバイク購入にご使用いただくことができます。成長の早いお子さまのサイズアップにご利用くださいませ。

 

TREK直営店での購入に限られるようですが、割安に子どもの自転車を乗り換えられ、サイズアウトしたものの処分にも困らないので、非常に合理的なサービスだと思います。

何より、今後何も考えずにTREK店舗でサイズアップするだけというのが、子どもの自転車選びに頑張れない私には魅力的でした。

「2年間で4回のメンテナンスサポートも良い」と車輪には一家言あるイクメンが申していました。

 

我が家は駅近に住んでいることもあり、大人の自転車は使う機会がないので最近売ってしまいました。子どもだけ自転車を持っていてもどうするのやら、と思ったのですが、本人が嬉しそうに練習しているので良かったです。

余談ですが、マロは今日リアキャリア(サドルの後ろの、男子高校生が女子を乗せる部分)付きのチャリを指さして「あれがあるやつが良かったー。誰か乗せられるしー。」などとブースカ言っていました。

今は補助輪付きで苦戦している5歳児も、十数年後には女子を後ろに乗せたりするんでしょうか。そもそも今の時代は二人乗り捕まっちゃうんですかね。

後天的に絶対音感は身につくか。

以前認知特性について書きましたが、マロは耳から情報を取る聴覚優位者です。

サラ太はまた違うような気がしますが、それはまたいつか改めて。

 

マロの聴覚優位をもっと尖らせたい、と思っていたところ、この本に出会いました。

人口の0.2〜0.5%しか持っていないと言われている絶対音楽を、90%以上の成功率で身につけることができる方法がある、と謳っているのです。

かなり胡散臭く聞こえるのは否めない。

ところがこの本に書かれているメソッドが、私には極めてロジカルに思われました。

特に絶対音感を身につけるためには、相対音感を身につけないことが必要」という理屈にはかなり納得感がありました。
かくいう私自信が、まあまあの性能の相対音感を持っているからです。

楽器を習っていたころ、自称絶対音感の人をよく見かけました。その多くが、高性能の相対音感や部分的絶対音感の持ち主であり、絶対音感とは似て非なるものであることも、この本を読んで理解しました。

1%未満の人しか持ち得ない能力を、トレーニングでによって90%超の確率で身につけられる。

惹かれませんか?惹かれざるを得ないですよね。
絶対音感が何役立つのかなんてこの際どうでもいい。希少なスキルがトレーニングで身につけられるという点に、私の実験心はやられてしまいました。

 

気になり始めるといても立ってもいられず、前述の書籍の江口式を採用している『一音会』の門戸を叩きました。入会すると、まず子どもの発達状況についてのアンケートと合わせて、音の聞き取りチェックのためのCDが送られてきます。

一音会では、教室に通う方法、FAXや郵便でやりとりする通信の方法、インターネットでオンラインで行う方法、の3つから選べます。我が家は圧倒的な手軽さでオンラインを選択しました。

 

やがてURLが送られてきて、付与されたアカウントでログインすると個々人にカスタマイズされた画面が現れます。今12和音トレーニング中のマロのスクリーンはこんな感じ。

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やることはシンプルで、流れる音に合った色をタッチします。赤はドミソ、オレンジはミソド、黄はドファラです。

音階で和音を教えると相対音感まっしぐらなので、色名で覚えるのが最大のポイントです。

これまたよくできていて、同じ動物同士は同じ音階で構成されています。
例えば赤とオレンジはいずれもドとミとソで構成されているので、混同したとしても大きな問題ではありません。むしろ混同の仕方によっては絶対音感に近づいているケースもあり、赤とオレンジの混同は良いミスとされます。

こういったミスについて分析された上で、個々人に合ったカリキュラムが組まれ、定期的にメールでアドバイスが届きます。

この1セットで30和音の音当てを、一日に4-5回行います。1セット3分くらいで、1日15分程度を一音会のおけいこに使っています。隙間時間に家でできるので、習い事としては全く重たくありません。

最初は面倒臭がっていたマロですが、徐々に生活の一部のようになり、今では特に抵抗なく一日4回取り組めています。

6月に赤1色から初めて、ここまで躓かずにこれました。全ての和音を横で聞いている私ですが、悲しいかな、マロのおけいこが進めば進むほど、自分に絶対音感がないという証左を突きつけられています・・・
典型的な相対音感で、1つめの音が分からないんですよね。1つ目がわかると、そこからの高低差で8割くらいはわかります。
5歳のマロは1音目を外すことはまず無く、全体的な正答率も9割5分以上。やはり良い耳を持っているなと感心します。

彼に本当に絶対音感が身につくのかどうか、はたまたその前に挫折してしまうのかどうか。トレーニングの様子はまた書きたいと思います。

 

ところでこの和音のトレーニングを始めて1ヶ月以上たったころ、イクメンから「和音って何?マロが聞いてる音って一個じゃないの?」という衝撃発言が出ました。
(さすがに和音は単音に聞こえんやろ・・・そのサイドについている耳は飾りなのかい?)という言葉はぐっと飲み込んでおきました。彼は視覚優位なのでね。そんなものなのかもしれません。

夫婦って凸凹だから面白く続けられる部分もあると思っています。

 

 

ichionkai.co.jp

【おもちゃレビュー】人生ゲームには4・5歳に必要なものが詰まっている

順調にアナログゲーム好きに育っているマロ。

4歳で導入して未だに大好きなのが、アナログゲームの古典『人生ゲーム』です。
我が家にあるものは、ベーシックコースにギャンブルコースやキャリアアップコースをくっつけてコースを調整できるものです。2016年版のようです。プレイ時間は2人で30-60分くらい。

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ルーレットのデザインは懐かしの昭和のままですが、マスの中身はなんとなく今ドキ。

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私が子どもの頃は、親族でプレイすると必ず白熱のあまり号泣する人間が出たものでした。大人になって冷静にプレイすると、人生ゲームの勝ちパターンは固定されていて、ゲーム性自体は高くないことがよくわかります。

基本的にはルーレットの運の要素が強く、あとは不動産や保険を買って思い切りバランスシートを膨らませたもの勝ちです。

思考の余地が少ないので、大人からするとつまらないのですが、これがまた4・5歳の子どもには素晴らしいおもちゃなのです・・・!

 

まず、数字感覚や計算が身につきます
最終的な所持金額の多寡で勝敗が決まるので、子どもも必死です。まだ計算が遅いので銀行屋こそ任せられませんが、声に出しながらお釣りや両替をしてあげると、回を重ねるごとに理解が深まっていきます。
「30,000ドル払って」と声をかけると50,000ドル札を出して「お釣りちょうだい」と言えるようになり、やがて「それ(10,000ドル)2枚ちょうだい」と言えるようになっていきます。
数字を物量でフィジカルに把握できるのが素晴らしいです。我が子たちはキャッシュレス世代なので、実際の人生ではもう札のやりとりなんて減っていくんだろうな・・・。

そして、積極的に文字を読み上げるようになります
ひらがなも漢字も読めるにもかかわらず、絵本は「これ読んでー」ばかりのマロですが、人生ゲームにおいては他人が止まったマスですら読み上げてくれます。
人間、利害が入ってくると違います。

 

さらに、社会的世俗的な話題が広がります
「子どもが産まれた人に祝い金を払う」「生命保険で支払いが押さえられる」「給料の高さや安定性が職業によって異なる」「借金をすると利子がついてくる」
どれも大人になれば当たり前でも、子どもにとってはそうではありません。そして敢えて話題にする機会がなかなかない一方で、人生においては極めて重要な知識です。
人生ゲームには、これらの学びが溢れています。

20年前はとにかく勝ちたかった人生ゲーム。

現在アラフォーにさしかかり、何となくもう先が見えているというか、ゲーム性が見込めない人生ステージにおいてプレイすると、自分の変化が悲しい。

稼げないと分かっていても、やってみたかったクリエイティブな職業を選んでみたり。
一生買えないであろう高層マンションを大借金して買ってみたり。
ビビって実生活では手をだせていない株式投資をやってみたり。

もはや自分の人生クロージングモードで、ゲームでぐらい別の人生を楽しみたいと思ってしまい、勝敗なんて二の次になっています。

5歳のマロがキラッキラした目で人生ゲームをプレイしているのを見ると、眩しくて眩しくて。

母ちゃんは、人生ゲームよりも君の人生の方が面白そうだと思う。

 

www.takaratomy.co.jp