むかし話が足りない、と思ったら(アニメ絵本のすすめ)
かちかち山、かさじぞう、うらしまたろう、シンデレラ、ジャックと豆の木・・・
どれも名作と呼ばれる作品で、誰でも知っています。でも、みんなどこで知るのでしょう。今でもストーリーを記憶しているくらい馴染み深いのに、私自身はどこで触れたのか思い出せません。
こういったむかし話は昭和の娯楽だったのかもしれません。
スマホもタブレットもYoutubeもなくて、テレビをつければ『日本むかし話』がやっていて、定番の絵本が散らばっているような、そんな昭和の育児における、貴重な子供向けのコンテンツだったような気がしています。
翻って令和、子どもの気を引くものがそこら中に転がっています。
いつだったか、私はマロが『一寸法師』を知らないことに気が付いてショックでした。確かに、我が家には大量の絵本があるのに、『一寸法師』はありませんでした。『かぐや姫』も『うさぎとかめ』もない。お金を出して買うストーリーとしての価値を私は感じていませんでした。
別に知らなくても何の問題もありません。むかし話などヴィンテージもののフィクションに過ぎません。もっと面白い絵本があるならそれを楽しめばいい。
ところが、しちだのプリントをやっていると左のような問題が出てきたりするのです。むかし話を知らないとどうにもこうにも解けない問題が。
小学校受験で求められる知識なんですかね。
多少はむかし話を導入してみようと買ったのが懐かしのアニメ絵本です。
1冊400円程度で購入できる、こういう表紙の薄い絵本。
なかでも『よい子とママのアニメ絵本』というシリーズが良かったです。
他のアニメ絵本シリーズもいくつか買ってみましたが、画が綺麗ではなかったり、教育的配慮からか内容を端折りすぎていたりで微妙でした。
このアニメ絵本がマロのツボにはまったようで、我が家に数ある絵本の中でも総合的に最も登場回数が多いシリーズになりました。結局9割ほど買いそろえました。
ちなみに、全集的な1冊にまとまったものは手軽ですがおすすめしません。1冊に始まりから終わりまでが詰まっているという、図書としての物理的価値が薄れてしまうので。
大人になってむかし話を読んでみると、引っかかる箇所も多いです。
得をするのは、いつだって清貧の美女や子宝に恵まれない老人。ルッキズムだったり男尊女卑だったり、とにかく前提となっている価値観が害悪だし古すぎる。令和に引き継いではいけない概念だらけです。
でもこれもまた教養なんですよね。多分。
画一的な美人が得をしていたり、お金持ちが当然のように意地悪だったり、子どもができないという不幸がありふれていたり。
これからを生きる息子たちには、どれも馴染みが薄くなっていくものだろうと思いますし、そうあってほしいと願います。ただ消えてしまうことはない。
時代が変わっても残り続ける人の汚点がバックボーンにあるからこそ、むかし話はいつの時代も子どもを惹きつけるのだと思います。