おもちゃと5歳児と1歳児とイクメンとの生活

かわいい息子たちで実験育児

家の中に国境を作った(日本育児のベビーサークル)

随分昔のことになりますが、マロが1歳を過ぎて家の中を自在に動き始めたころ、ベビーゲートを設置しました。

刃物や火の元もあるので、彼を守るためにキッチンの入口に取り付けました。

ところが私がキッチンに入ると、マロがベビーゲートの柵を掴んで、ウエーンウエーンと悲しそうに泣き続けるのですよ・・・。何だか檻に入れているようで気の毒になり、結局キッチンの中に入れたりしていました。

 

そんなことから、あまり便利だった印象が残らず、ベビーゲートは捨ててしまい、次男が生まれたあともしばらくはその類のものは検討せずでした。

 

・・・のですが、結局買いました。
日本育児のベビーサークル、『ミュージカルキッズランドDX』です。

item.rakuten.co.jp


それをサークル状に組まずに、こんな風に使っています。

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このように、兄弟間に国境を作りました。

 

5歳になるマロと、1歳のサラ太。
4歳も離れていれば遊ばないし喧嘩もなかろう、とタカを括っていたのですが、とんでもない。
四六時中くっついてるんですよこれが。

1歳と遊んでそんなに君は楽しいのかい?と5歳には問いたいし、何度痛い目をみても兄にゴロニャンしに行く1歳のタフさにも感心します。

永遠に仲良く遊んでくれれば、そこには平和しかないのですが、そんなはずもなく・・・。

 

5歳は加減知らずに遊びを仕掛けるので、1歳が「ウアーン」となります。
あるいは集中して作ったものを1歳に壊された5歳が「あー!ちょっと、おかあさーん!(怒)」となります。

この2パターンの無限ループに、ほとほと嫌気がさし、無念な思いはあれど、物理的に兄弟を分断することにしました。

 

そしてささやかな平和が訪れました。
兄が大好きなサラ太は、国境付近をウロウロ徘徊しがちですが、自力では中には入れないので、このベビーサークルでそれぞれの空間を維持することができます。

 

血を分けた兄弟ですら、仕切りがなければ一日と持たないのだから、人類に国境は必要。ボーダーレスなんて夢物語。

 

ちなみに、このように、ベビーゲートさながらにキッチンに入場規制を設けることも可能です。

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プラスチックですがそれなりに重みもあって自立します。
国境でなくとも、適宜次男に触ってほしくないものをガードするために使っています。

2人目以降育児の必須アイテムです。

【おもちゃレビュー】ちょっとブラックな長男のコルク積み木作品

もうすぐ5歳になる長男が1歳になったとき、義理の実家から自由学園生活工芸研究所のコルク積み木をプレゼントされました。

というか今見たら25,000円もするのかこれ・・・。

 

www.koruku.jp

 

私の実家もですが、親世代って「皇室御用達」とか「愛子様も使われた」とかに弱くないですか?
藤井聡太くんが遊んでいた」ならまだあやかりたい気持ちも理解できるのですが、皇室買いは何だか不思議な感じがします。良いものだと保証されている印象を受けるんでしょうかね。

 

このコルク積み木、皇室御用達だけあって確かに素晴らしいものなのです。大きくて軽い。それだけと言えばそれだけなのですが、小さな子どもでも、難なく持ち上げて大きな作品を作ることができます。
これは木の積み木(重言?)にはない特徴で、我が家においても木の積み木とは異なる使い方をされています。崩れてもうるさくないし当たっても痛くないのも良い。

積むだけではなくて、何かを支えるのに持ってきたり、飛び石のように置いてその上を歩いたり、何かと使い勝手の良いおもちゃです。

耐久性が高く、世代を越えて受け継ぐこともできます。
高価なので私は自腹で買おうとは思いませんが、孫の代まで使える前提であれば、悪くない買い物かもしれません。

 

私の布教活動も虚しく、マロは相変わらず積み木を始めとした構成遊びに興味がないままです。コルク積み木の出番も正直少ない。一方サラ太は比較的手に取ることが多いので、次男には今後の入信を期待しています。

 

先日、弟が出しっぱなしにしていたコルク積み木を、珍しくマロが熱心に積み上げていました。

 

「何作ってるの?」
「エメラルドのお城!」

 
私は「そっかー楽しみだな。エメラルドのお城できたら見せてね」と声をかけて、家事をしていました。
「できたー!」という声が聞こえたので戻ると、こんなものがリビングに鎮座していました。

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「へー。これエメラルドのお城なの?」
「ううん、お墓

 

墓?! 
エメラルドのお城はいつの間に滅び、墓になったのか・・・。

 

「この緑の棒は?」
お線香だよ」 

 

そうなんだ・・・。お母さんはてっきりエメラルドのお城のシンボルかと思ったよ・・・。緑色だしさ・・・。

 

「あ、良いこと考えた!」

 

 ごそごそとケルナースティックで何かを作り始めたマロ。

 

「今度こそできたー!ジャーン!」

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 お線香立てだよ。風が吹いても大丈夫だよ」

 

「かっこいいでしょ、写真撮ってー」と頼まれたので「いいねー、お母さんも死んだら入りたいなー」なんて言いながら撮りました。

次男の1歳の誕生日に買ったケルナースティック。本来はかわいい人形や動物を自作できるおもちゃです。ケルナースティックも、まさか自分が線香立てにされる日がくるとは思っていなかったのではないでしょうか。

 

マロは大人がギョッとするようなことを言うことがあり、そんなブラックなところは自分によく似てるなと思います。

犬を連れた人とすれ違ったあとに、満面の笑みで「あの犬いつかは死んじゃうだろうねー」と言ってフォローに困ったこともありました。

このちょっとブラックな部分にこれからも驚かされるんだろうな、と思うと少し楽しみだったり。

 

高学歴者たちの原点は何歳なのか

もう去年の話ですが、仲間内で飲んでいた時、興味深い話題になりました。
その面々を最終学歴で言うと、東大、東大、京大、早稲田理工の布陣だったのですが、そのうちのひとりが投げかけた問いが発端でした。

 

「自分が頭が良いかも、と気が付いたのはいつ?」

 

灘→東大の彼は、同級生にこの質問をするのがマイブーム(死語?)だと語りました。彼によればその回答にばらつきはあまり見られず、灘や東大の同級生は皆、小学校入学前には「自分の賢さ」に気が付いていた、と言うのです。

実際のところ、その場にいた全員が、幼稚園もしくは保育園のタイミングと答えました。それぞれちょっとしたエピソードを添えて。

エピソードの内容もどれも似通っていて、園の先生が出した問題を自分だけが解けた、親がダメ元で渡してきた課題を解いて驚かれた、といった類のものでした。つまり、何らかの形で評価者として大人が関わっていました。

 

私自身を振り返っても(自分は特別なのかも)と最初に感じたのは就学前でした。

家族で『世界ふしぎ発見』を見ていた時に、「生卵をテーブルの上に立てるにはどうすればいい?」と聞いてきた母親に、「ちょっと割る」と答えました。
なぜそう答えたのかは覚えていないのですが、ほとんど褒めることのなかった母親が驚いて父親に報告し、父親が「コロンブスだ」と嬉しそうに言った光景を鮮やかに覚えています。

この経験は、その後の私の自信を薄っすらと支え続けました。

わからない問題にぶつかっても、(自分は子どもながらにコロンブスくらいのポテンシャルはあるから出来る)と、半分弱くらいは本気で思っていました。その後コロンブスの虐殺者としての一面を知り、ショックを受けるわけですが。

さておき、高学歴な人たちの原点が就学前にある、という点について、できる人は幼いころからできるもの、という読み解き方はひとつあるでしょう。
それはそれでそう外れてはいない気がします。少なくとも私の周囲の超高学歴者で、小学校での勉強につまづいた経験を持つ人は皆無です。就学前に分岐しているのはほぼ確実だと思います

一方で、その分岐には往々にして親や先生が関わっているのもまた事実。
未就学児の段階での大人から声掛けが、その後の子どもの自信や自己肯定感を醸成すると考えられます。

 

立ち返って4歳のマロを観察してみても、正直よくわかりません。
少なくとも自己肯定感は強そうな気がします。
オチのない話を長々とかつ堂々とする姿を見るにつけ、(自分の話を聞きたくない人はこの世にいないであろう)という意思を感じ、すごいなーと感心してしまいます。

私は彼に学歴を期待しているわけではありません。ただ、私の声掛けが彼の自信となり、それが外で戦う糧になってくれたらと思って接しています。
4歳ともなると叱る機会の方が圧倒的に多いので、意識しておかないと褒められません・・・。

とはいえ彼の自己肯定感の末路が、オチのない話をし続ける高学歴男子だったら悲劇でしかないんだよな、とも思ったり。
親心とは勝手なものです。

世界中に知らせたい。赤ちゃん育児にはペットシーツが最高だと。

突然ですが、他人から何かを勧められたとき、即座に「試してみよう」となりますか?

私はなりません。自分が営業職だからでしょうか。
人に物を勧めるのは、その人に買ってほしいから。なぜ買ってほしいかというと、勧める人にマージンもしくはキックバック等の利があるから。

 

そんなひねくれた私が今日お勧めしたいのは、ペットシーツです。
我が家にはペットはいません。いるのは荒ぶる4歳児と、動きたい盛りの1歳児、そしてそそっかしい3X歳の私。あと36歳のイクメンもいます。
デオシート 無香消臭タイプ ワイド 36枚
ペットがいない我が家でどんな時にペットシーツを使っているかというと、まずはおむつ替えです。

我が家にはおむつ替えのための定位置がなく、カーペットにペットシーツを敷き、その上に次男を横たえておむつ交換しています。
おむつ替え中に次男がゴロゴロと転がって大小便がシーツについても、そのまま捨ててしまえばいいので、洗う作業が発生せず気が楽です。
無事にペットシーツを汚さずおむつ交換できた時は、おむつ替えボックスの中に戻し、何度か繰り返し使っています。

 

さらに大活躍するのが、飲み物をこぼした時の始末です。
長男はさすがにもう綺麗に食事できますが、次男は食べ物も飲み物もまき散らしながらの食事です。時には自分のもののみならず、親や兄のコップをもひっくり返します。

そんな時、こぼれたところにペットシーツをかぶせるだけで、コップ1・2杯程度の液体なら、余すところなく吸い取ってくれます。その後はささっと水拭きするだけなので、とんでもなく楽ちんです。

ちなみに1歳の次男だけではなく、3X歳の私もよく飲み物をこぼすので、我が家のペットシーツは大忙しです。

最近はありませんが、長男がトイレに失敗した時もペットシーツで吸い取っていました。消臭もしてくれますし、犬ではなく人の尿というだけなので、ある意味本来の使い方に最も近いと言えるでしょう。

 

子どもの粗相の後始末が楽、というのは非常に重要です。
やらかしてくれた時の「何てことしてくれたんだ」感がないので、怒りや苛立ちの感情が湧いてこないんです。子どもからすれば同じ粗相なんですが、ペットシーツの有無で親の気持ちはかなり変わります。

「何てことしてくれたんだ」まで行かずに「あららー♪」で済み、ペットシーツのおかげで私は穏やかな母親でいられます。そして短縮できた後始末の時間の分、穏やかな心のまま、子どもに絵本を1冊読んであげることもできるんです。
ペットシーツってすごい。

 

念のために書いておくと、私はペットシーツとは何の関係もない業界で勤務しており、この記事を書くにあたっても、ペットシーツメーカーから1円たりともいただいておりません。

それでも、ペットシーツを世界中の子育て世帯に普及したい。ペットシーツが生む便利と時間と心の余裕を知って欲しい。

 

ちなみに我が家はワイドサイズの無臭タイプを愛用しています。
一度私が間違えて香り付きを買ってしまったのですが、次男の大便臭とのマリアージュがヤバすぎるとの理由で、イクメンがおむつ替えをストライキしてしまいました
皆様もご注意ください。

くもんもやめました

マロ3歳半の時に、くもんの無料体験に行ってみました。
無料体験後も、思い出したように「くもんやりたい」と言うので、このやる気は本物かもと思って入会しました。

 

・・・3ヶ月でやめました。

 

いやー早かった。2人目の産休中に始めて終わりました。やる気は本物だったと思うのですが、マロが思っていたのと違ったようです。それは私にとってもそうでした。

 

くもんをご存じの方ならわかるかと思いますが、くもんの基本は繰り返しです。9割方できていても1割できていなければ、その1割のために9割も繰り返します。
これがマロからすると「またこれ?こないだもやったじゃん!」となります。そうなると彼はつまらない、つまらないからやりたくない。
宿題をやって行かないと親も先生にチクリと言われるので、私も「いいからやりなさい!」と毎日言う羽目になりました。一人ではまだできないので横で見てあげるのですが、本人もつまらないので遊びだす、それを叱る、この繰り返しになって行きました。

 

(お金払って子どもを叱るネタが増えてるだけ・・・?)
と薄っすら思うようになりましたが、それでもしばらくは様子をみました。
というのも、やれば力はつくんですよね。教材はさすがしっかりしています。嫌々やったとしてもそれなりに成果はあがるんです。やりさえすれば。

マロが選択したのは国語と英語でしたが、たった3ヶ月で変則的な助詞も正確に読めるようになったし、英語の歌も気に入ったものは口ずさむようになりました。

ただ嫌がる。宿題も嫌がれば教室に行くのも嫌がる。

 

どうしたものかな、と思いはじめたころ、決定的な辞めるきっかけがありました。

教室で国語を指導してもらっているときのこと。マロが挿絵を指さして、何事かを嬉しそうに先生に話しかけました。
先生は「そうだねー、でも今はこれ読もうか」とさらりと流したのです。

それを見て(もう続けなくていいか)と思ったのでした。

私はマロが挿絵をみてどう思ったのか聞きたいし、それは書いてある文章をすらすら読めることよりもずっと重要なことだと思っています。

くもんの先生は悪くありません。カリキュラムの進度管理が仕事ですから、子どもの脱線にいちいち付き合っている場合ではないのです。

でも私は、子どもに時刻表通りにレールの上を走ってほしいわけではない。どんどん好きなだけ脱線して、(この子どこまで行くんだろう?)と私もワクワクしたい

 

というわけで、私もある意味気が済んだ部分があり、くもんを辞めました。
今は家でプリント学習をやっています。私が横で見ているだけなので、脱線し放題です。
いずれ小学生になれば、嫌でもレールに乗せられる。きっと私もガミガミ言うようになる。それまでは自分も子どもも好きなようにやればいいさ、と思っています。
紙の上の指示とは離れて遊び出す息子の姿も、今は愛しい。

よだれ児のスタイにファイナルアンサー

最近1歳になった次男。長男ほどよだれが出なかったので、今まで特に気にせずノースタイで過ごしていました。

ところが最近保育園から「サラ太くんはよだれがすごいですねー(困)」と言われたので、そうかこれはすごいのか、と気付きました。

長男のよだれはそれはもうすごくて、アゴに穴でも空いているのではないかと思うほど。1日に5-6回はスタイを取り替えていて、それでもとめどなく出るよだれは、そこら中をビショビショにしていました。
初めての子だったので私も随分と心配し、検索したり相談してみたりしたものです。
ブログを読み返すと、よだれに効くと信じてハーモニカまで買っていました
一人目育児って悩みがちですよね・・・。

肝心なスタイも、安いものから高いものまであれこれ試しましたが、我が家が辿り着いたのはこれ。Mum2Mumのワンダーヒブです。
楽天だと1枚1,000円強。

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とにかく吸水量が圧倒的。相当なよだれ児でも1日2枚で事足ります。ぐるぐる回転することもなく、次男のアゴのナイアガラを全て受け止めてくれる頼もしい存在。

裏の防水もこの通りバッチリで、トップスもほぼ濡れません。保育園の先生からも「このスタイすごく良くないですか・・・」とお墨付きでした。

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バンダナ風で、いかにもよだれかけなデザインでないところも良いです。
ピンクや黄緑のようなビビッドな色は、質感的にマイクロファイバー雑巾みたいに見えなくもないので、私はブラックとネイビーばかり買っています。
カラー展開はこんな感じ。

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子どもの保育園グッズを揃える際、いくつか気を付けていることがあります。デザインや使用感はさることながら、保育園の先生の手間が多少でも省けるかどうか、というのも私が重視しているポイントです。

1日に1人の子のスタイを3回交換するとして、5人よだれ児がいたら15回、さらにトップスまで染みていたらそこにお着換えまで入ってきます。
吸水力ばっちりのスタイにしておいて、幾分それが楽になってくればなーと考えています。

お世話という点では、自分よりも圧倒的に保育園にやって頂いているので、できることは何でもやりたいと思っている次第です。

スイミングをやめました

次男の産休中に、思いつく限りのマロの習い事の体験に行きました。入会したものもありました。が、今は全部やめてしまいました。
やめた理由はそれぞれあるものの、一番はマロ本人が嫌がったから。

例えばスイミング。
赤ちゃんのころは顔シャワーも嫌がっていたマロが、家での特訓の結果、毎日風呂に潜るようになりました。旅行先でもホテルのプールから離れなくなり、これはいわゆるこの子のタイミングなのかも、と思ってスイミングに入会しました。ウキウキ行っていたのは2回くらいだったでしょうか。その後は文字通り引きずって連れて行く状態でした。

「やってみると言い出したのは自分なのに、何が嫌なんだ、言葉には責任を取れ」と激詰めしたところ、「知らない子がたくさんいるから嫌だ」「水がぬるくて寒い」と言いだしました。

彼は確かに泳ぐことが好きなのですが、でも知らない子と冷たい水は嫌いだったのです。
例えば保育園の友達と通うだとか、水温を上げてもらうとか、やりようはあるのかもしれない。でも結局、スイミング自体がそんな「嫌い」を超えた「好き」の対象ではないのでしょう。

思い返せば私もピアノは好きだったのに、ピアノ教室の風変わりな匂いと、ハイヒールりんごみたいな髪型の先生のヒステリーが嫌でやめたのでした。
私にとってのピアノがそこまでだったように、マロにとってのスイミングもその程度だったかと思うと、妙に腹落ちして「行かなくていいよ」とすんなり言えました。

スイミングはやめても相変わらず泳ぐことが好きなマロ。数日に一度は盛大に風呂で遊んでくれます。濁って湯量が減った浴槽を見るにつけ、複雑な気分になります。

幼児の習い事は本当に難しい。タダじゃないですし。
でもスイミングの一件で、これからも習い事はどんどんやらせて嫌ならやめさせればいいや、と気軽に思うようになりました。
逆説的ですが、スイミングをやってみることで、今後のマロの人生からスイミングという選択肢を消すことができたわけです。これでまた他のことを探しに行けます。
そもそもこのトライアンドエラーの繰り返し自体が実験育児の本質ともいえます。

スイミング以外にもやめた習い事があるので、順次ご紹介いたします笑


 

 

ピタゴラスイッチを卒業したら『テキシコー』へ

県境を越える移動も解禁され、街もほぼ平常運行に戻っているようですね。

我が家はまだ自粛モードではありますが、保育園には2人とも行ってもらっています。自宅保育で身に染みたのですが、保育園最高です。保育園に足を向けて寝ることはできませんマジで。

自宅保育中に、かねてから頑張っていた「テレビレス育児」は崩壊しました。レゴや水遊び等、あれこれ時間をもたせようと頑張ったのですが、親が関与することなく長時間静かにしてくれる遊びなどは見つからず、結局Netflix三昧・・・。

そして映像が当たり前になったことの害も、今はっきりと感じています。

「映像漬けになって性格が悪くなった」と友人が的確に表現してくれました。少しでも長く見たいがゆえに、4歳児なりにロジックを作ってネチネチ責めてきたり、時には脅迫してきたり、罵詈雑言を飛ばしたりするわけです。

映像をめぐるマロとのバトルはもう思い出したくありません・・・。そしてやっぱり私はテレビが嫌い。得られるものもある、と思っていた時期もあったのですが、4歳児に関してはほぼ何も得られないと思っています。毎日2-3時間、1カ月以上見続けたマロを見てそう思います。
逆に、浴びるほど映像を見せて良い影響を受けている幼児のケースがあれば知りたい。

今後はマロとサラ太の成長を見ながら、娯楽ではなく学びの一環として映像を取り入れるに留めたいと考えています。
以前のテレビレス育児にはすぐには戻れないので、今はリハビリ期間です。YoutubeNetflixは、見られるもののユニバースが広すぎるので、やっぱりダメだなと再確認しました。子どもからしても(あれもこれも見られるのに、勝手に親に制限された)というフラストレーションが溜まります

地上波で良さそうなものを録画して見せるスタイルが、今は我々親子のオプティマルなポイントです。色々物色していて見つけたNHKの『テキシコー』がすごく良い。

www.nhk.or.jp

プログラミング的思考「テキシコー」をはぐくむ教育番組とのことですが、ちょっとシュールで大人にも面白いです。ピタゴラスイッチだとちょっと幼稚かな、という年頃の子どもにおすすめ。

見たところでプログラミングスキルに直結しそうな感じはしませんが、知的な興味の広がりを促してくれます。

育児しながらの在宅勤務で長男が崩壊しました

皆さまステイホームはいかがでしょうか。私はと言えば、何とか少し落ち着き始めたところです。先週まではボロボロでした。
多くの都内の人同様、4月に保育園が突然休園となり、夫婦在宅勤務+2人育児が始まりました。


私は在宅勤務とは言え、仕事の性質的に電話はワンコールで取らなければならず、メールもリアルタイムでのリアクションが期待されています。例えトイレでも、10分席を外す場合は同僚に代理応答を依頼しています。

そんな感じなので、マロの相手は当然難しく、マロはイクメンが担当し、私はサラ太をおぶいながらPCに向かうことにしました。担当制です。
とはいえマロからすれば担当など関係ないので、思いついた時にお父さんお母さんに話しかけるわけです。

「これ読んで」「あれ取って」「これ見て」の多くを無視された結果、マロはバランスを崩してしまいました。
ささいなことで癇癪を起こし、その癇癪の程度も見たことがないくらいひどかった・・・。
4歳ともなると弁も立つ上に力も強く、なだめるだけでもう身も心もヘトヘトになりました。


当初「マロは言葉も通じるし、問題はサラ太だよねー。最悪サラ太だけシッターさんお願いしよっかー。」などと夫婦で話していたのですが、甘かった。激甘でした。

言葉が通じるってことは、自分がどう扱われているのか大体わかるということなんですよね。今書くとそりゃそうだって感じなんですが、すっかり頭になかったです。

かつて読んだ発達心理学の本において、子どもの心を壊す最も簡単な方法について「親が矛盾した行動を短期間に繰り返すこと、例えば厚い愛情表現の直後に無視するなど」といった主旨のことが書かれていました。私がやってしまったのはまさにこれです。

何とかしなくてはと思い、会社と調整した上で夫婦でシフトを組むことにしました。
イクメンが早朝と午後仕事、私がそれ以外の昼過ぎまでと夜を仕事として、マロを極力ひとりにしないようにしました。まだ始めて数日ですが、担当制よりもシフト制のほうがうまく行きそうな気がしています。子どもからしても、誰が自分に構えるのか明快です。

マロの変化を通じて、ついマロに大人並みの分別を期待していた自分に気が付きました。言葉は大人並みですし。でもまだ4歳なんですよね。
今は彼の信頼を一部失っている状態だと思っているので、何とかリカバリーしたいと思っています。こんなにずっと家族でいられる時間はもう来ないだろうに、マロにとって嫌な思い出にならないといいなあ・・・。

コロナウイルスに思う、息子たちが生きていくnoisyな世界のこと。

得体のしれないウイルスが流行り始め、街からマスクが消えた。それまでマスクをしていなかった人がし始め、需給のバランスが崩れたから。
次はなぜかトイレットペーパーが消えた。世の中のおしりの数は変わらないのに。
どうもSNSのデマが発端らしい。

 

「常に自分を疑い、一次情報を取りにいける人」

子育ての方針を一言で、と聞かれたとき、私はマロが産まれてから一貫してこう答えてきました。

今回の新型コロナウイルスが炙り出したものはいくつかあると思いますが、私が特に興味を持っているのが、情報の感染力です。
フィジカルな人の移動が多い現代、ウイルスそのものの広がりも速いですが、SNSによる情報の伝播には目をみはるものがあります。今回は街からトイレットペーパーを消し去りました。

「トイレットペーパーがなくなる」という情報が入ってきたとき、息子たちには、そのままドラッグストアで買い占めるような大人になって欲しくないと思います。
トイレットペーパーの生産地と流通経路を調べ、自分の家のトイレットペーパーの備蓄を見て、冷静に行動できる人でいて欲しい。その情報の出所が、仮に家族や大切な友達であっても。

 

新型コロナウイルスが炙り出しているように、現代社会において情報は山のように生産され、嘘が真実の顔をしていたり、その逆だったりします。今後も基本的にはその流れは変わらないでしょう。

マロとサラ太には、膨大な情報の中で、常に自分の考えを疑い、真実である蓋然性が高い一次情報を取りに行ける大人になって欲しいと思っています。

一次情報って何?と言われると難しい部分もありますが、私はまずは書物だと思っています。本で情報を発信できる人は限られていて、その情報を得るためにはお金を払わなければならないからです。真逆がSNSです。誰でも情報源になれて、誰でもタダで見られます。最も信用ならない末端情報と言えるでしょう。

そして多言語も鍵です。今回のような世界的な流行において、報道の在り方は各地で異なります。どう考えても報じられるべき情報が、英語でしか流れていなかったりします。全言語を習得しておくのが理想ですが、それは無理なので、息子たちにはせめて英語ぐらいは原文のまま理解できるようになってほしいと考えています。

 

こんな記事を見つけました。

bonsenpai.com

確かに素晴らしい話だと思ったので貼ってみました。

ただ、私はイタリア語を解さないので、本当にこの日本語訳が正しいのかは自信がありません。もしかしたら、アレッサンドロ・ヴォルタ高校のドメニコ・スクイラーチェ校長なる人も実在しないかもしれません。

でもマンゾーニの著作『許嫁』は読んでおきたいなと思います。