息子が『絵本博士』と呼ばれるまで絵本好きにするために工夫してみたこと
2人目は本当に腹が出るのが早い・・・。どんどん大きくなるお腹に、マロが「赤ちゃん今日は何するのー?」と毎日話しかけてくれます。
やさぐれた自分からこんなにピュアな息子が生まれたことが、未だに不思議です。
最近、マロについて嬉しいことがありました。息子について、保育園から『絵本博士』というコメントをもらったんです。とにかく本を読む人になってほしい、と考えて育児している私には、この上なく嬉しいコメントでした。
息子が生来絵本好きだったかというと、そうでもない気がします。0-1歳のころは親が一方的に読み聞かせても、ページをパラパラ先送りするなどしていました。
それが今や、児童書の類でも30分以上集中力を途切らせることもなく、最後までじーっと聞いています。こちらから「あと1冊で終わり」と言わないと、次々に持ってきて終われません。結構つらい・・・。
ともあれ、彼をここまで絵本好きにする過程で効果があったと感じていることをまとめてみました。
絵本をカゴに入れて地面に置く
これは、母親が私にしてくれていたのを真似しました。子どもが無理なく手を伸ばせるところに、宝箱を置く感覚です。我が家のは、子どもが好きなところに運べるようにキャスター付きにしていますが、ただのプラスチックのカゴでも大丈夫です。
よくこういう、洒落た子ども用本棚を見かけますが、私は良くないと思いますね。大人でも手前の本以外取りにくいですよね。1歳も後半になると、背表紙で絵本は特定できます。表紙を見せておく必要性は乏しいです。大体収納力も落ちます。
自分の5-6割しかない身長の人間にとって何がユーザーフレンドリーかが重要です。絵本好きになるかどうかは、絵本の配置の仕方で半分決まると思います。
絵本の娯楽としての地位を高くしておく
マロが絵本好きなのは、その面白さが絵本からしか得られない、と強く刷り込まれているからだと思います。
絵本を最大の娯楽とするべく、我が家では基本的にタブレットは触らせませんし、今年に入って思い切ってテレビを捨てました。(これについてはまた詳しく書きます)
代わりに大型の本棚をリビングに導入し、絵本環境を整えました。
「これ読んで」を断らない
実は最近はできてません(笑) 寝る前に1冊20-30分はかかろうかという絵本をどさっと持ってこられると、さすがに辟易します。断るときはなぜ今読めないのかを説明すると、もう3歳半なのでさすがに理解はして、譲歩してくれます。
基本的には、朝バタバタしていても、自分が疲れてへとへとでも、「これ読んで」には親のどちらかが必ず応える取り決めをイクメンとしています。
選書のコツは、押し付け過ぎず、媚び過ぎず
膨大な数ある魅力的な絵本。私が選ぶ上では主にこんなことを意識しています。
・最低限の検閲はしても、好みは押し付けない。特に躾は絵本に頼らない。
言葉遣いやストーリーが許容できるかどうか、一応の確認はします。が、大人が読んで「ほっこりする良い話」や「何か学んで欲しい話」は大抵伝わらない上に、子どもにはつまらないので避けます。絵本を極上の娯楽として保つためには、純粋に子どもにとって面白い選書を心掛けるべきです。
・好みの作家は極力揃える。
画風なのか文体なのか、子どもが好きな絵本作家には傾向があります。気に入った作家を見つけて、その人の作品をシリーズで買うと効率が良いです。
それにあたっておすすめなのは、読み聞かせの時に作家も読み上げることです。自分も絵本作家に詳しくなれますし、子どもも自分が誰のファンなのか自覚できます。
・子どものブームはまず絵本でキャッチ。
好きな食べ物だったり、季節のイベント、次のお出かけの予定など、子どもの興味関心へのアンテナを張り、そのテーマを絵本でキャッチすることを心がけています。
例えば最近のマロだと「宇宙」「海賊」「刀」「うどん」「おばあちゃんの家」等がキーワードです。Amazonでこれらのキーワード&絵本、で検索して物色しています。
・ジャンルは幅広く。
効率の良い絵本選びや、子どもが大好きな絵本探しを追求すると、ついジャンルが偏りがちになってしまいます。例えばマロの場合、乗り物の絵本を片っ端から与えれば、それはそれで楽だしヒット率も高い。
でもそれでは、「乗り物の絵本が好き」なだけであって「絵本好き」にはならないんです。子どもにとって絵本は面白くなくてはならないし、面白さには驚きや新鮮味が欠かせません。時折家のラインナップを見直し、偏りがないかチェックするようにしています。前のポイントでも書いたように、子どもの興味関心のフックを見落とさないようにしておけば、ジャンルは簡単に拡げられます。
自分の子ども時代と違って、今は無料の動画もゲームのアプリも充実しています。多すぎる娯楽の中で絵本を選んでもらうためには、ただ与えるだけではない工夫がどう考えても必要だったな、と振り返ったりしています。