おもちゃと5歳児と2歳児とイクメンとの生活

かわいい息子たちで実験育児

高学歴者たちの原点は何歳なのか

もう去年の話ですが、仲間内で飲んでいた時、興味深い話題になりました。
その面々を最終学歴で言うと、東大、東大、京大、早稲田理工の布陣だったのですが、そのうちのひとりが投げかけた問いが発端でした。

 

「自分が頭が良いかも、と気が付いたのはいつ?」

 

灘→東大の彼は、同級生にこの質問をするのがマイブーム(死語?)だと語りました。彼によればその回答にばらつきはあまり見られず、灘や東大の同級生は皆、小学校入学前には「自分の賢さ」に気が付いていた、と言うのです。

実際のところ、その場にいた全員が、幼稚園もしくは保育園のタイミングと答えました。それぞれちょっとしたエピソードを添えて。

エピソードの内容もどれも似通っていて、園の先生が出した問題を自分だけが解けた、親がダメ元で渡してきた課題を解いて驚かれた、といった類のものでした。つまり、何らかの形で評価者として大人が関わっていました。

 

私自身を振り返っても(自分は特別なのかも)と最初に感じたのは就学前でした。

家族で『世界ふしぎ発見』を見ていた時に、「生卵をテーブルの上に立てるにはどうすればいい?」と聞いてきた母親に、「ちょっと割る」と答えました。
なぜそう答えたのかは覚えていないのですが、ほとんど褒めることのなかった母親が驚いて父親に報告し、父親が「コロンブスだ」と嬉しそうに言った光景を鮮やかに覚えています。

この経験は、その後の私の自信を薄っすらと支え続けました。

わからない問題にぶつかっても、(自分は子どもながらにコロンブスくらいのポテンシャルはあるから出来る)と、半分弱くらいは本気で思っていました。その後コロンブスの虐殺者としての一面を知り、ショックを受けるわけですが。

さておき、高学歴な人たちの原点が就学前にある、という点について、できる人は幼いころからできるもの、という読み解き方はひとつあるでしょう。
それはそれでそう外れてはいない気がします。少なくとも私の周囲の超高学歴者で、小学校での勉強につまづいた経験を持つ人は皆無です。就学前に分岐しているのはほぼ確実だと思います

一方で、その分岐には往々にして親や先生が関わっているのもまた事実。
未就学児の段階での大人から声掛けが、その後の子どもの自信や自己肯定感を醸成すると考えられます。

 

立ち返って4歳のマロを観察してみても、正直よくわかりません。
少なくとも自己肯定感は強そうな気がします。
オチのない話を長々とかつ堂々とする姿を見るにつけ、(自分の話を聞きたくない人はこの世にいないであろう)という意思を感じ、すごいなーと感心してしまいます。

私は彼に学歴を期待しているわけではありません。ただ、私の声掛けが彼の自信となり、それが外で戦う糧になってくれたらと思って接しています。
4歳ともなると叱る機会の方が圧倒的に多いので、意識しておかないと褒められません・・・。

とはいえ彼の自己肯定感の末路が、オチのない話をし続ける高学歴男子だったら悲劇でしかないんだよな、とも思ったり。
親心とは勝手なものです。